人造人間の定義

キカイダーを通してみる

さて、こうしたロボットに焦点を当てて話をしていくと最終的にこの話題についても触れていかなくてはならない。そもそもキカイダーとはロボット学的に当てはめるとするならどの分類になるのか、という点についてもだ。現代社会においても身近な存在になりつつあるロボット、けれどロボットに感情を備え付けるという技術そのものはまだ確立されてはいない。将来的にキカイダーのような良心回路のようなプログラムが完成される日もあるのかもしれません、ですが人口AIという概念の高さで見るとそういった話はまだまだ先になりそうではある。夢は膨らみそうですが、キカイダーのようなケースを考えるとあまり推奨されたものではない。

それこそ作品は違いますが、ター○ネーター的な世界を想像したら、ロボットの反抗がとんでもない事態を誘致するのかは言わなくても理解できるはずだ。そういう意味ではREBOOTのように、ロボットに心をもたせるべきではないとする意見にも耳を傾ける必要があります。現状、ロボット開発については積極的にこそ行われていますが、人間個人の感情を再現するような技術革新はいまだ起こってはいないので、実現するかもまだ不確定だ。

まずはロボット技術を大成することにこそ焦点を置くべきではありますが、世の中にはロボットと呼称される名称が色々ある。それを踏まえるとキカイダーにしてもどう呼んだ方が適切なのか、実は分かりにくい部分があります。

人造人間に憧れるあなたへ

ロボットを意味する名称

一概にロボットと呼称されるのは、『人に成り代わって作業をするために作られたもの』とする見方が強い。定義は明確に定められていないため、人によっては意見が異なる部分もある。キカイダーも本来はこのロボットに該当される存在なのですが、光明寺博士によって感情というプログラムを機能するシステムが組まれます。そのせいで苦悩するわけですが、この時点でここで定義するロボットという枠から大きく逸脱していると言えなくもないのです。

そうすると『人造人間』という言い方が的確ではないのか、という議論にも繋がる。タイトルにも同言葉が採用されているので、恐らく枠組みとしては人造人間という定義が正しいのでしょう。ただそれもどうなんだろう、というのが個人的に思っている。他にも『アンドロイド』だったり、『バイオノイド』だったりと、人に近い生命体でありながら人間とは大きく異なる人工生命体の存在の名称が多く存在している。

どれも言い得ているようで、定めなければならない辺りが辛いところだ。いずれ本格的な技術参入が期待される分野なだけあって、今後はより市場拡大とばかりにあらゆる企業がロボット、アンドロイドなどへの分野に進行するでしょうが、まず業界特有の定義を定めるところから足場固めをしていかなくてはならなそうだ。

サイボーグについて

ただそんな中でもキカイダーは『サイボーグ』と呼ぶのだけは違うように思える。サイボーグと呼ばれる存在に限っては生身の部分、不慮の事故などによって手や足を失った人が生命維持も兼ねた強化を重ねた状態であるとする定義が一般的だ。それは同時に完璧なロボットではなく、人間でありながら機械としての性質を持っていることを意味している。石ノ森章太郎先生にはサイボーグを題材にした作品もあるので、そちらを想像してもらえるとわかりやすいかもしれません。

こう考えるだけでも、色々ありすぎてロボットだったり、人造人間だったりと、言葉の多さに戸惑う部分が多い。

こんな言葉も

またロボットや人造人間という意味ではないにしても、状態によってはそれに近い存在になりうるとして言われている言葉もあります。

これだけ同類とされるものが多すぎると混乱するのも頷けるかもしれません。それくらいこの業界には可能性が残されていると同時に、課題も多くあるのが見て取れる。

ロボット最高!

だからこその定義として

こうした設定が1970年代に存在していた、という点を考慮するといつかはそんな時代が来るだろうとする問題提起を目的にしていたのかもしれません。憧れ、そうなるだろうと皆が未来に夢を馳せているからこそ、作りこむことによって憧れだけでは現実には出来ないと言いたかったのだろうか。

面白ければそれでいいという話ではなく、キカイダーに託されたのはそんなメッセージ性も強く響いているのかもしれませんね。

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