石ノ森章太郎先生について

日本を代表する漫画家

キカイダーを始めとする特撮作品の原作、並びに漫画家としても一流としてその名を馳せている方といえば『石ノ森章太郎先生』という存在を忘れてはならない。今でこそ『石ノ森=いしのもり』と呼びますが、デビューして間もないころは『石森=いしのもり』と呼ぶのが普通だったという。ペンネームとして採用された名前だったわけですが、実際は誰一人として『いしのもり』ではなく『いしもり』としか読んでくれなかったとのこと。読みにくいわけではないですが、やはり後者の読み方をするんだと思うのが普通でしょう。

こればっかりはどうしようもありませんでしたが、ペンネーム以外ではその才能と実力は当時をおいて筆頭だったと言わしめるほど。気づけば漫画家として大成し、日本全国に知られるほどとなった。あの仮面ライダーの原作を考えたのも石ノ森先生というのだから、馴染み深い人は多いはずだ。漫画も名作と称されるものが多く、キカイダーを始めとして見るとその数は計り知れない。

そんな石ノ森先生だからこそ見られる面白いエピソードもある。中には面白いというには凄すぎるエピソードもあるので、そういう視点で見ると只者ではないというのがよく分かります。

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石ノ森先生のエピソード

制作スピードの早さ

石ノ森章太郎先生は、当時話題を席捲していた手塚治虫先生に感化されて漫画家を志すこととなり、そんな先生に見出されてアシスタントでありながら漫画家としてもデビューを果たした。それからというものアシスタントと自身のマンガ制作を行っていましたが、そのスピードは漫画家たちの聖地として知られていた『トキワ荘』において最速だったと称されるほど。後に弟子として入門する永井豪先生なども証言している通り、これまでに発表してきた作品数の多さからそれを物語っています。

キカイダーもその一つというわけですが、特撮原作とエンドロールなどに紹介されているものの、どの程度の素材を与えているのかもとりわけ興味深い部分ではある。

元は映画監督志望

漫画家として活躍している印象のほうが世代に関係なく印象が強いと思います。ただ石ノ森先生的には幼少時、漫画家ではなく映画監督としての道を志していたとのこと。漫画家という不安定な仕事は父親からの反対があるだろうと予想していたせいもあったが、その才覚を発掘されたことによって表の世に出る形となった。

その後姉の死というきっかけを元に映画監督への道へ舵を切ろうともしましたが、漫画家としての生命線を途絶えさせてはいけないとと諭されて道を修正したという。それが後に仮面ライダーなどを生み出すきっかけにも繋がっていくわけですから、どこで何が繋がっているのかわからない。

ファンレターの宛先が

今でいうとこうしたスター作家さんや芸能人といった方にファンレターを送る人は今でもいるでしょう。筆者にはそういった経験はないのだが、一つ分かるのが送られる側は自宅ではない事務所などの中継点を用いてのことだ。ただ石ノ森先生の場合、当初は自宅をその送付先にしていたため、連日ファンが押し寄せてきたとのこと。そのため、無碍な対応をするわけにもいかなかったため、当時まだアシスタントとして活動していた永井豪さんらによるサイン会が開かれた事もあったという。

かなりレアなケースですが、自宅を送付先にしているとこんな事態になる、という典型的な例になってしまった。ある意味では凄いエピソードといえるでしょう。

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60歳での他界

石ノ森章太郎先生が亡くなられたのは1998年のこと、その頃には大分名前を知る機会も増える年齢になったという人もいるでしょうが、実のところこの報道がされるまで筆者は先生のことを知らなかった。興味がなかったというよりは、原作者がどういう人なのかという共通点を探すのにあまり興味を示せなかったのだろう。『これ誰っ?』とテレビを前にして言った台詞に、親の絶句する顔が見て取れた。すかさず石ノ森章太郎先生という人がどういう存在なのかを教えてくれたわけだが、実感はない。

ただ今だからこそ分かるのは、人間誰しも健康が大事という点でしょう。亡くなられた時、まだ60歳と若い時期に急逝されている。ある時期から体調を崩していたとされているので、そのせいもあったのかもしれません。ただ石ノ森章太郎先生が亡くなられたことにより、代表作が未完のままに終了してしまうという事態に陥ってしまいます。

今でこそ構想から見て取れる範囲で完結編なる作品は発表されていますが、本音では誰もが先生の作る完結編に目を通してみたかった、そう思っているはずだ。

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